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風土記
奈良時代の初め、713年(和銅6)5月、元明天皇は諸国に風土記(ふどき)の編纂を命じた(この時点では風土記という名称は用いられていない)。官撰の地誌。詔により撰進したのは各国国庁。漢文体を主体とした文体で書かれた。 『続日本紀』の和銅6年5月甲子(2日)の条が風土記編纂の官命であると見られており、記すべき内容として、 1. 郡郷の名(好字を用いて) 2. 産物 3. 土地の肥沃の状態 4. 地名の起源 5. 伝えられている旧聞異事 が挙げられている。 完全に現存するものはないが、出雲国風土記がほぼ完本で残り、播磨国風土記、肥前国風土記、常陸国風土記、豊後国風土記が一部欠損して残る。その他の国の風土記も存在したはずだが、現在では、後世の書物に引用されている逸文からその一部がうかがわれるのみである。 -
唐山大地震(增訂本).
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借我一生
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金明馆丛稿二编
内容包括《李唐氏族之推测后记》、《三论李唐氏族问题》、《论许地山先生宗教史之学》、《李唐氏族之推测》等63篇文章。 -
醜陋的中國人
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書緣與人緣
口述歷史是作者用功最勤、最為人稱道的一項工作,在完成胡適、李宗仁、顧維鈞等人的口述自傳時,作者和他們的關係也從「書緣」進到「人緣」,他曾自述「使我獲益最多,和了解『胡適』最深入的部分,還是胡公認為是‘off the record’(紀錄以外)的那一部分了」,其中種種有情味的事情,亦可從本書中略窺一二。另外,作者也是寫序的行家,《胡適雜憶》一書原就是為《胡適口述自傳》寫的序,胡適的傳沒有給人們留下什麼深刻印象,可是那個序讀之令人銘記於心,久久難以忘懷。而應學生傅虹林之請,為出版的博士論文《張學良的政治生涯》寫一篇序時,又是出手不凡,寫了一篇〈論三位一體的張學良將軍〉。此文要點:沒有老子張作霖,兒子張學良就發展不起來;沒有兒子張學良,老子張作霖只不過是一個土軍閥;沒有兒子張學良引進留學生軍事人才,老子張作霖的奉軍只是土軍閥的軍隊,不能現代化。父子相得益彰。結論是:沒有西安事變,張學良只能是個不同於老子的新軍閥,成不了歷史人物。這一驚世駭俗的立論,使張學良讀了甚為欣喜,自云:「過去人家都以為我是拾老子的餘蔭,殊不知老子還依靠我呢?」 本書為作者有關傳記、書評諸類文章的彙編。作者以其夾議夾述的獨特文風,充滿比興,成語俚語甚或古奧的典故,隨手拈來,涉筆成趣,警句、格言、反諷、隱喻、俏皮話,層出不窮,使人眼花繚亂,應接不暇。海外有人譽之為「唐派文章」。