中國古代の財政と國家
渡辺 信一郎
【序説】より
「百姓不樂」は、中国古代末期の農民が皇帝を目の前において口にした、中国古代社会の総括的表現である。
それは、司馬光が指摘するように、皇帝・官僚と百姓が構成する政治社会の、文字どおり千歳にわたる歴史の中で醸成されたものである。その直接的な内容は、正規租税、臨時の徭役・雑税(賦斂)、および和糴など
その他の收取とその輸送にかかわる問題であった。北魏における和糴の出現が示すように(本書第九章)、その背景には、対内・対外戦争を遂行するための軍事経費の捻出と広域にわたる軍糧輸送のための労働力編成
の問題が横たわっている。趙光奇の「百姓不樂」は、その背景に千載をこえて広がる何千何億もの百姓たちの「不樂」を想像させる。趙光奇が代表する「百姓不樂」の、そのよって来たる歴史的淵源を明らかにする
ためには、租税・徭役收取、軍事経費、財物輸送をふくむ財政史研究と財政の前提をなす国家の研究が不可欠である。
私は、これまで春秋戦国期から唐宋変革期にいたるまでの農業・農村社
会と土地所有(渡辺一九八六)、イデオロギーと政治的社会編成(渡辺一九九
四)、国家の政治的意思決定過程と儀礼執行(渡辺一九九六)、「天下」をめ
ぐる国家論(渡辺二〇〇三)の研究をつうじて、戦国期から隋唐期にいたる
ほぼ一千有余年の時代をそれ以後の社会と区別して、中国における古代
的社会構成体であると認識してきた。本書は、それらの研究を土台と
し、漢代から唐宋変革期にいたるまでの財政史研究をとおして、「百
姓不樂」の背景にある中国古代国家の歴史的特質を明らかにすること
を目的とする。・・・・古代中国を通観し、財政史的観点から国家と社会の
相互関係を分析し、つぎにくる社会構成体への展開まで視野に入れて
、その歴史的特質にせまろうとするものは、ほとんどないといってよ
い。本書は、この研究状況を克服するための、一つの試みである。